「蛇のひと」「休暇」

夏休み三日目、夕方ツタヤに行くついでに散歩する程度しか家出てないんですけど、ドラマ一気見したり映画みたり充実しております。以後ただの日記と映画感想です。
でもずっと家にいて人と話さないと根暗で厨二病の自分が出てき始めるので、夕方大音量でBURGER NUDS聴きながら無駄に歩き回ってました。つらつらと。音楽聴くために歩くの好きなんです。そんなこんなでセンチメンタルな気分で帰ってきてお茶一気飲みしてるときにチラッと鏡観たらピンクのチェックシャツにピンクのカーディガン着てる自分の林家パー子力に絶望してセンチメンタル終了しましたありがとうございました。



昨日は西島秀俊出演「休暇」「蛇のひと」を見ました。
観終わってから放心状態というか心にころんと異物がある感じというか、今まで体験したことの無いようなよくわからない気持ちになってしばらく眠れませんでした。少し時間が経って気持ちを消化し始めてからは、世の中にはきっと数えきれないほど良い映画がたくさんあって、それらの1割も見れないまま死ぬんだろうな、いやだな、と漠然と思いました。「良い映画」という言葉の定義は何かわからないし、対義語は悪い映画なのかといわれたら違う気もしますけど、2時間にも満たない時間で人の心を180度変えてしまう映画がたくさんたくさんあって、それに触れられないまま死ぬのって悔しくない?って悶々と考えていました。だからせめて好きな俳優が出ている映画は全部見てから死んでやる、という決意。
映画を見て放心状態の時に、前に父母ととあるドラマを見ていたときのことを思い出しました。ラストでわたしがぼろぼろ泣いていたのに父母はまったく泣いていなくてどうして?と聞いたら「父さんたちはね、何十年か長い間生きていた分もっと泣きたくなるようなこと、たくさん経験しちゃってこのくらいじゃ泣けなくなっちゃったの。」と言われたんです。そのお父さんの言葉に、お父さんとお母さんがわたしの親じゃなかった頃の人生とか、親になってからのわたしの知らない人生を感じて、すぐ返事が出来ませんでした。生きるってそういうことかって気付かされた感じがします。たぶん一生忘れないと思う。このひとが父親で良かったな。その時のわたしはいつものように「ベタなラストだから」とかなんとか軽口が返ってくると思いながらどうして?って聞いたので、真面目な返事が返ってきてびっくりしたんですよね。でも今考えると、実際に泣きながら鼻ずびずびさせてるわたしを見て、茶化さないで、泣いてるわたしのことも傷つけない返事をしてくれたんだな、って気付きました。文章にして整理するって大事だ。
だから、父母に昨日観た映画見せたらまた違った感想を抱くんだろうなあと思います。
でも人生経験全くない小娘の時期に見ることができて良かった。


以後、映画感想というより、西島秀俊についてつらつらと。

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「東南角部屋2階の女」

おはようございます。お久しぶりです。
昨日はようやく試験が終わり、今日から束の間の夏休み(すぐに実習が始まってしまうので2週間、実質1週間強)です。その短い夏休みを映画と本で埋め尽くしてしまおうという目標を立てたので、早速映画3本借りてきました。昨日見たのは2本で、そのうちの1本はハズレ、もう1本は西島秀俊加瀬亮出演「東南角部屋2階の女」です。これは高校2年生の頃、加瀬亮*1で観たうちの1つ。その頃は映画ってCGとかアクションとか派手であればあるほど良いという感性だったため、このゆったりまったりした映画は正直つまらなくて、ただの加瀬亮のプロモーションビデオだと思いながら眺めていた気がします。ですが、今見返してみるとなにもかもわたしの好みで、最高…ッ!と唇を噛みしめ机に頭を打ち付けてました。何かに疲れてくたびれてる会社の上司西島秀俊(野上さん)と、その部下加瀬亮(三崎くん)というキャスティングにわたしの心はスタンディングオベーションでした。男と女の生き方の違いというか性格の違いというかそれが面白くて、男2人女1人という構図がとても好きなのです(江國香織きらきらひかる」、ドラマ「ビューティフルサンデイ」しかり)。(女2人男1人ではダメなんです、女は2人そろうと違う生き物になってしまうので。)だから、三崎くんの「どういうことっすか」から始まり、野上さんが正論を返し、三崎くんがキレるという。そして三崎くんが煙草吸いに行って収まったかと思いきや、野上さんがいきなり掴みかかる流れ、男の人にしかない展開で大好きです。ゆったりゆったり、大きな事件も運命を変える劇的な出来事もなく物語は進んでいきますが、それが良いんです。実際、自分の運命や人生を変えるのは誰かの何気ない一言とか、偶然とか、些細なことじゃないですか。見終わったあとに残るのは、「わたしも何か頑張ってみよう」とかそういう決意ではなく、心に優しく沁みるオイルのようなものでした。きっとこれが何かふとしたときに、わたしの人生を変えてくれるんじゃないかなそうだといいな。毎日している習慣だって、いつもより5秒遅れてやるだけで人生って変わると思うんです。そういう些細なものだと思う。今これを書きながら見直していて、ぼんやり考えていました。出てくる3人が抱えているものは誰もが持っているようなもので特別なことなんてないんですけど、でも本人にとってはドラマなのです、人生はすべて。
この映画は台詞がぽんぽん飛んでくるわけではなく、沈黙とか間の使い方がとてもよかったです。普通に生活していたらそんなに言葉なんて出てこないし、何を言っていいのかわからないことの方が多いし、そういうことが上手に丁寧に演出されていました。見返して良かった。

あらすじ
野上孝(西島秀俊)の父親が死んだ。父親が残した多額の借金を返済しなければならない彼は、祖父の野上友次郎(高橋昌也)の土地を売ろうと思いつくが、なかなか祖父を説得することができない。やがて、その土地に建つアパートで、恋人(大谷英子)に去られたばかりで会社の後輩だった三崎哲(加瀬亮)と、見合い相手の豊島涼子(竹花梓)との三人での共同生活が始まる。

「昔からくじ運なかったもんなあ」

祖父の土地を売って父が残した借金返済して出ていこうと決めたから、お見合いで家持ってる女の人選んだのに家持ってなかったときの野上(西島)さんの台詞。「女運」ではなく「くじ運」。言葉のチョイスよ。
でもそのあとの三崎くんの台詞

まあどっちもどっちっすかね

で、お互い顔を見合わせる野上さんと三崎くん良かった。わたしもテレビの前で「確かに」って頷いてた。

「じゃあどうしてほしいわけ」

これですよ、「関係ないじゃん」「関係なくないよ!」に続くサイテー!な男のテンプレートのような台詞。丸投げです、なにもかも。このあと涼子さんはずんずん歩いて行っちゃいますけど、「待ってよ」って言ってるのに突っ立ったままです。待ってよ感ゼロ。最高です。

他には公園のブランコで別れ話する加瀬亮とかもいてほんとうに心がシアワセ。


続きましては、ぽつりぽつりとお話して良い味を出している、塩見三省さんの台詞。

ゴリラは本当に孤独なときしか歌わないから、誰も聴くことはできないんだなあ。

進化の歴史から考えてみれば、人も鯛も親戚みたいなもんだ。人間が勝手に分類してるだけだ。
魚にとってはそんなことどうでもいいわけだ。
俺が大切にしてることと野上さんが大切にしてることは多分違うだろう。だからみんなすれ違ったりもめたりするわけだ。だけど理解できなくても、知ろうとすること、お互いにわかろうとすること、大事だよね。

猿真似っていっても猿には真似ができないんだよ。それができるのは人間だけ。真似でもなんでもいいからさ、とりあえずやってみなよ。じたばたするのも面白いんじゃない、人間らしくてさ。

最後に。

「アフリカって何がおいしいの?」
「そんなことわからないから行くんすよ」
「マニュアル本読んでないんだ」
「そういうのいらないかなあって。すべての答えはアフリカにありますから。」
「それなりに進化してんじゃん」

3人が進む道を決めたり、決めようとしていたり、最後の場面での涼子さんと三崎くんのこの会話が大好きです。それを見ながら笑っている野上さんも。




「東南角部屋にも、西日って射すんだね。」

*1:加瀬亮が好きな女二人集まって昼から晩までひたすら出演作品を鑑賞する会(を開いてました)

或自警団の言葉

さあ、自警の部署に就こう。今夜は星も木木の梢に涼しい光を放っている。
微風もそろそろ通いだしたらしい。さあ、この籐の長椅子に寝ころび、この一本のマニラにも火をつけ、夜もすがら気楽に警戒しよう。

芥川龍之介の「侏儒の言葉」でここの部分が好きなんです。いやほかにも好きなところを挙げたらキリがないんですけど。ここの部分を読んだら目の前に星空が広がってすべてに解放される気がする。侏儒の言葉は先月、沖縄に行ったときに飛行機の中で読んでいたんですが、隣ではお母さんが伊坂幸太郎の「チルドレン」を読んでいて、そのチルドレンの中に侏儒の言葉が出てくる、って毎回見せてきてた。お母さん読書きらいなんだね…ってそっと目を閉じました。チルドレンは2回読んだ気がするんだけど、陣内さんが子供に侏儒の言葉と自作の言葉集を渡したのはすっかり忘れておった。自作の言葉集欲しい。話がずれましたが、わたしは文豪が自分の考えを語っているのを読むのが好きみたいです(と言っても芥川の他に三島由紀夫の「不道徳教育講座」だけなんですけど)。すっごく綺麗な日本語で語るから、読んでいるときは騙されるんだけど、あとからふと考えたときに「それ今言ったらゆとりって言われるよ!」って思うことを結構語ってる。そういうとき、ああ生きていたひとなんだ、と少し恋をして心臓がひゅんってなる。きゅんではない。恋をするといえば、わたしはここが(も?)本当に好きです。

わたしは三十にならぬ前に或女を愛していた。その女は或時わたしに言った。
―「あなたの奥さんにすまない。」わたしは格別わたしの妻に済まないと思っていた訳ではなかった。が、妙にこの言葉はわたしの心に滲み渡った。わたしは正直にこう思った。
―「或はこの女にもすまないのかも知れない。」わたしは未だにこの女にだけは優しい心もちを感じている。

これ、奥さん側からしたら結構というか本当に酷いこと言ってるんですけど、これを読んだとき「或女」側に感情移入する性格なので、もう少ししたら暗唱できるくらい好きな部分です。「優しい心もちを感じている」という言葉は愛してるよりも深くて切なくて胸がきゅっとなります。この「男」を剛くんに演じてほしくて堪らない。あくまでも芥川自身じゃなくて、この、女に「優しい心もちを感じていた男」を演じてほしい。まだ人間失格は見たことないのでわかりませんが、剛くんが文豪が生きていた時代の男を演じるのはとても似合う気がする。というかわたしがすごく好きなやつだと思う。金閣寺も観てみたいなと思っているところ。剛くんの男としてのあの格好良さはなんなんだろうなともっぱらのテーマです。あとあの明治時代に生きてるっぽさ。これは感じてるのわたしだけかな。
話を本に戻そう。最近どんどん読んでいない本が溜まっていくから、ちまちま読んでいるんですけど、見かけたら買っちゃう癖が治らないので未読本0状態は無理だろうなと思っています。三島由紀夫の「仮面の告白」も去年買ったまま読んでないんですけど、帯の「世の中というものは、好きな同志がいつでも結婚できるようにはできていないんだ。」という一文に惹かれて買ったので早く読みたい。と言いつつ、今は先月買った宮部みゆきの「小暮写眞館」を読んでいます。わたしの頭の中でST不動産社長の「世の中にはいろいろな人がいるからいろいろな出来事が起こる。中には不思議なことも起こる。」と京極堂の「世の中には不思議なことなど何もないんだよ、関口くん」が戦ってます。面白い。早く読んじゃいたいんですけどわたしお風呂の中で本を読むのが好きなんですよね。なにもない空間で汗だらだらかきながら読んでると、世界にどっぷりつかれるから好きなんです。前まではいつでもどこでも本の世界に入れたんですけど、最近はめっきり集中力がなくなって悲しい。乙一の「箱庭図書館」に出てくるお姉さんみたいな生活をしたい。できないけど。たまにお風呂で読みながら「恋愛偏差値」の中谷美紀っぽいなって思うときあるんですけど。イメージで。イメージだから。イメージの上ではひとはクレオパトラにもなれる!ごめんなさい!ちなみに美紀様のことはケイゾクから虜になりました。あと渡部篤郎にも恋しました。基本的にすぐ恋します。偶像に。ちなみに「小暮写眞館」ではテンコくんが好きです。本名は店子力だからテンコ。ひょうひょうとしてて、人懐こいのに心の中には誰もいない感じが、けんくんみたい。主人公の口からはそういうところは語られないんですけど、持ち前の妄想力で補った。本を読んでいる最中は本の中の世界で独自の人物を作り出すタイプなので、あんまり今生きている人物に重ね合わせたりはしないんですけど、本読んでないときぽわわ~んと考えて誰タイプかなあと考えるのが好きです。ジャニーズにはたくさんのタイプがいるからすごいなって思っている。と、ここまで読み返したら話題がふらふらふらふら飛びすぎですね。すこし引いてます。これドラマ見ながら書いてるので完全に独り言です。少しだけ人に聞かれてることを意識したひとりごと。オチも何もないけれど最後はこの言葉で終わります。

夜はもう十二時を過ぎたらしい。星も相不変頭の上に涼しい光を放っている。さあ、君はウイスキイを傾け給え。僕は長椅子に寝転んだままチョコレエトの棒でも齧ることにしよう。